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2011-05-08 (Sun)
今日は珍しく5時に目がスッキリと覚めた。
だいたい、スッキリと目が覚めるなんてこと、一年に一回あるかないかなんだけど。
外を見てみると、今日はいい天気だったので、
最近サボリ気味だったウォーキングに行ってみた。

5時半ウォーキングスタート。
涼しくて、ものすごく爽やか。
こんな時間なのに、すでにウォーキングやジョギングをしてる人達がいる。
外の空気がこんなに気持ちいいと感じたのは、ものすごく久しぶり。
それだけで、なんだか急に気分がずいぶん軽くなった気がした。

すると、あら不思議。突然プラス思考。


今年に入ってから、
悩みも全て自分で抱え込んで、ずっと塞ぎ込んでいたけれど、
最近、それをまわりに言えるようになってきた。
問題解決はまだ出来てないけど、
とりあえずその事は自分の中では進歩なんじゃないの?

4月、うつ状態でほとんど仕事に行けなかったけど、
最近、半日ずつだけど仕事にも復帰し始めてるし。


実は最近、乳がんで亡くなったスーちゃんのニュースがショックだった。
36才で発病したという部分がわたしと一緒で、
55才で亡くなったというのが、なんとも微妙で。
でも考えようによっては、
彼女は55才まで頑張って生きたのだから、
わたしも今後もし再発するようなことがあっても、
スーちゃんみたいに、何が何でも55才までは絶対に生きよう、
とか、思ったり。

何やるにも、自分のペースでいいじゃないか。
人生で立ち止まる事があって、何が悪いのさ。
食べたいときに食べて、寝たいときに寝て、
やる気がない時はやらない時があったって、それの何が悪いのさ。
わたしは何にも悪くなーい!!
わたしは何にも間違ってなーい!!

とか、とか、とか。


いつもは自分で自分を責める事が多いのに、
今日の朝は自分で自分の味方してた。
そんな不思議な朝。
「早朝マジック」かしら。


境川沿いの歩道に沿って
自分の卒業した高校まで歩き、その先で折り返して、約一時間のウォーキング。
久しぶりのわりには、いいペースで歩けた気がする。
でも帰ってくるときには7時前でもかなり暑くて、しんどかったー
| つれづれ | COM(8) |
2011-04-04 (Mon)
今年最初の日記。

残念ながら、今年に入ってからは、悲しい出来事ばかりで。
何も書けなかった。

いろいろあったけれど、
先日29日、義父が亡くなったことが、今1番の悲しい事。

震災のあった翌々日からずっと富山にいて、
義父が亡くなるまでの一週間を過ごし、
最期の瞬間を看取り、葬儀を終えて、今日、やっと東京に戻った。

今はただ、悲しみと、虚しさだけが心に残る。


今年、元旦に義父が胃がんだと知った。
その10日後の精密検査で、もうあちこちに転移していて、
末期がんであることを知らされた。
義父は病院には入らず、自宅で療養することになった。

それ以降、わたしとダンナは富山と東京を行ったりきたりした。
富山に帰るたび、義父はどんどん弱っていった。
今回、一緒に過ごした一週間、
義父の呼吸は苦しそうで、痛そうで、うつろな目をしていた。
もう口もきけなかった。
でも、最期の日だけは違った。
目はしっかり開き、その日は眠ることもなく、時々言葉を発し、
家族はその反応に喜んでいた。

わたしはその日、反応があってもなくても、義父にたくさん話しかけた。
「青い山脈」や「リンゴの歌」など、義父の枕元で歌を歌ったりもした。
義父に「東京はね、サクラが咲いたそうですよ」と耳元で話すと、
「ああ、そうか」と頷いた。
そのあと義父の枕元で、「さくらさくら」の歌を歌ったりした。

その後、しばらくして義父の意識がなくなり、
そのまま家族に見守られながら、義父は静かに息をひきとっていった。

「お疲れ様でした」と声をかけながら握った義父の手はまだ温かかった。
今でもその温かさが自分の手に残っている気がする。

わたしは東京に住む、次男の嫁。
半同居の長男夫婦とは、一緒に過ごした時間など比べ物にならないくらい少ないし、
病気が分かってからの義父の面倒も、ほとんど見てあげる事は出来なかった。
義父の最後の一週間を一緒に過ごせて良かったと思う気持ちもあるけど、
やっぱりいろんな意味で後悔のほうが大きい。

斎場には、義父の青年時代から、最近までのスナップ写真が数枚、
大きく引き伸ばされて飾られた。
義父の若いときの写真はその時初めて見たし、
てっきり仕事は農業一本だったのかと思えば、
実はいろんな仕事をしていた事も知り、
他にもいろんな義父のエピソードが出てきたりもして、
亡くなって初めて知った事もたくさんあった。
生きてるうちに、もっと義父を知りたかったと思った。

亡くなってからも、義父にはたくさん語りかけた。
わたしが義父に語る言葉は「ごめんなさい」の言葉ばかり。
いろんなごめんなさいがあるけれど、
1番のごめんなさいは、孫を作ってあげられなかった事。


そして約二週間の滞在を終えて、今日、東京に戻ってきた。
こんな時こそ、義母を支えてあげたいが、
結局はまた長男夫婦に任せるしかないことがもどかしい。

なんだか、心がスースーする。
何もする気が起こらない。


「サクラをみせてあげたいですね」
往診に来ていた先生がそう言っていたけど、それは叶わなかった。
今年は、サクラを見るたびに、残念な想いでいっぱいになってしまいそう。
今から、キラキラ輝く季節が来る。
いつもその輝きについていけないから、春は苦手。
今年はもっとこの季節についていけない気がする。
| つれづれ | COM(4) |
2010-12-29 (Wed)
これが今年最後の日記。
大雑把に振り返ってみる。


*****

今年は去年に比べると、日に日に体調が良くなって、
この一年間はずいぶんと元気に過ごす事が出来た。
仕事も音楽も、少しずつ復帰した。
新しい出会いもあった。数年ぶりに再会した人達もいる。
数年ぶりの海外旅行、初めてのヨーロッパ。
ウオーキングも始めた。
人工乳房を作った事も、自分にとっては良かった事。

がんになって、おっぱいもなくなって、
泣いてばかりいた去年に比べたら、
今年はずいぶん笑顔で過ごせたような気がする。

でも最近は落ち込むことも多くて、
年越しまであと少しというところで、パワーダウンしてしまった感じ。

仕事の悩みも、音楽の悩みも、病気の不安も、
最近は誰にも話す事が出来なくて、
自分の中でいろいろ抱えこんでしまっていて、疲れちゃったのかもしれない。

*****

新しい年を迎える時になると、
来年の抱負とかどうしても考えちゃうけど、今年は思いつかない。
先のことは、やっぱり怖くて想像出来ないから、
今までどおり、一日一日を丁寧に重ねていくしかないのだと思う。

しいて言えば、その時その時の自分の思いを、
今よりもっと大事にしていけたらいいかな、と思う。
自分を抑え込んで我慢してしまうことも、けっこう多いから。

"目標"はなかなか見つけられないけど、
"願い"としては、「再発することなく元気に過ごせること」かな。

*****

31日からは夫の実家(富山)へ。
今年は大雪が降っているらしく、
数年ぶりに、車ではなく電車での帰省。

東京とは比較にならない、寒い寒い富山のお正月。
風邪ひかないように行ってきます。
明日は最後の掃除と、お土産の買出し、帰省の支度で、
きっとバタバタの一日になるだろうな~。
東京には2日の夜に戻ります。

*****

皆さん、今年一年ありがとうございました。
きっと来年も相変わらずこんなわたしですが、
どうぞよろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください♪
| つれづれ | COM(2) |
2010-12-13 (Mon)
先日の11日(土)、高校のOB吹奏楽団の定期演奏会に、エキストラで参加した。
吹奏楽のステージは2年ぶり。

2ヶ月前、いろんな想いがあって、今回のステージに乗る事を自分で決めた。
いまだに負荷がかかったように重く、痺れも残っていて感覚が戻っていない右腕が、
当日のリハと本番までの長い時間、
腕を上げ続ける状態に耐えられるのかという不安とか、
相変わらずの少人数バンドで、個人負担が大きい事とか、
いろんな負担やストレスが自分にかかってくる事も、分かっていて決めた。

今回、わたしの同期が数人エキストラで乗ったけど、
彼らは少ない練習の中でも、本番では十分にその能力を発揮して、
まさに演奏において、見事にその役割を果たした。
同期として彼らを本当に誇りに思う反面、自分が情けなくも思う。

私自身は、自分もエキストラという肩書きではあったけど、
"助っ人"という思いは全くなかった。
楽団のためにではなく、自分ために、今回の出演を決めたのだから。
だから、自分が役に立てるなんてことは、最初っから考えたこともない。
ステージに乗るからには、とにかく自分をどうにかしなきゃって、ずっと思ってた。
自分が出来ないという事がわかっていたから、
他のエキストラの誰よりも、とにかく練習には参加していたと思う。


実際のステージでは緊張しまくりで、
体力的にもやっぱりきつくて、
予想通り、自分の中ではガッカリする事も多かったけど、
大好きな仲間達と演奏出来て、楽しかった、嬉しかった。
ステージにみんなといることが、幸せで仕方なかった。


終演後、ロビーに行くと、両親とダンナが待っていてくれた。
母がわたしを見るなり、"お疲れさま"ではなく、
「疲れたんじゃないの?体は大丈夫なの?右腕痛いんじゃないの?」と心配そうに何度も言った。
「疲れたけど大丈夫だよ。去年の今頃はもうこんな事も無理だと思っていたけど、
またこうしてステージに乗れたんだから」
と言うと、、
「そうだね、それだけ元気になったって事だね」と母が涙声で言いながら、
とてもカワイイ花束をわたしにくれた。
母の涙につられて、わたしも涙がいっぱい出てきてしまった。
ダンナもわたしが泣くのを見て、
「ホントに、また出られて良かったよね」と言ってくれた。

わたしが何かをすると、
その分、家族には余計な心配をかけてしまうんだなあ、と思った。
誰よりもわたしの心配をしながら、わたしの人生を応援してくれる。
この演奏会に出ると決めたことが、
自分ひとりの問題ではなかったことに改めて気がついた。
「ごめんなさい」の気持ちと、「ありがとう」の気持ちで、
しばし涙が止まらず。



今回、個人的に嬉しかったのは、
自分の一年下の後輩と20年ぶりに共演出来た事。
高校時代を共に過ごした、唯一のパートの後輩。
彼女とは、高校卒業してから会うことはなかったし、
ましてや共演するなんてことは、もう一生ないだろうと思ってた。
でも彼女は子供が二人もいる中で、また楽器を復帰した。
そのお陰で、また再会出来たし、再び一緒に同じステージに乗ることが出来た。

彼女がいてくれたお陰で、わたしは今回とても心強かったし、
なんだか高校時代に戻ったかのように懐かしい思いも出来た。
20年もたってから、彼女の良さを知った部分もあった。

音信不通のまま違う人生を歩いてきて、
20年もたってから、同じステージに乗るという事。
こういう奇跡って、あるんだね。


今回もいろいろあったけど、結果として、
演奏会に出たことは、自分にとって良かったと思う。
次の日に、右腕の付け根が腫れたりしてビックリしたけど、
体への負担以上に、得られたものがいっぱいあったから!

家族に感謝。仲間達に感謝。音楽に感謝。

母がくれたお花。元気が出るオレンジブーケ
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| 音楽 | COM(4) |
2010-11-24 (Wed)
ピンクリボン商品、第二弾「クレイジーソルトピンクリボン」。

クレイジーソルトは、ハーブや、ガーリックなどのスパイスが入った調味料で、
肉、魚、卵料理など幅広く使えて、これだけで味が作れるので普段から愛用。
ピンクリボン版は容器がピンクで、キッチンに置いていてもカワイイ


| 病気のこと | COM(6) |
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