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2011-04-04 (Mon)
今年最初の日記。

残念ながら、今年に入ってからは、悲しい出来事ばかりで。
何も書けなかった。

いろいろあったけれど、
先日29日、義父が亡くなったことが、今1番の悲しい事。

震災のあった翌々日からずっと富山にいて、
義父が亡くなるまでの一週間を過ごし、
最期の瞬間を看取り、葬儀を終えて、今日、やっと東京に戻った。

今はただ、悲しみと、虚しさだけが心に残る。


今年、元旦に義父が胃がんだと知った。
その10日後の精密検査で、もうあちこちに転移していて、
末期がんであることを知らされた。
義父は病院には入らず、自宅で療養することになった。

それ以降、わたしとダンナは富山と東京を行ったりきたりした。
富山に帰るたび、義父はどんどん弱っていった。
今回、一緒に過ごした一週間、
義父の呼吸は苦しそうで、痛そうで、うつろな目をしていた。
もう口もきけなかった。
でも、最期の日だけは違った。
目はしっかり開き、その日は眠ることもなく、時々言葉を発し、
家族はその反応に喜んでいた。

わたしはその日、反応があってもなくても、義父にたくさん話しかけた。
「青い山脈」や「リンゴの歌」など、義父の枕元で歌を歌ったりもした。
義父に「東京はね、サクラが咲いたそうですよ」と耳元で話すと、
「ああ、そうか」と頷いた。
そのあと義父の枕元で、「さくらさくら」の歌を歌ったりした。

その後、しばらくして義父の意識がなくなり、
そのまま家族に見守られながら、義父は静かに息をひきとっていった。

「お疲れ様でした」と声をかけながら握った義父の手はまだ温かかった。
今でもその温かさが自分の手に残っている気がする。

わたしは東京に住む、次男の嫁。
半同居の長男夫婦とは、一緒に過ごした時間など比べ物にならないくらい少ないし、
病気が分かってからの義父の面倒も、ほとんど見てあげる事は出来なかった。
義父の最後の一週間を一緒に過ごせて良かったと思う気持ちもあるけど、
やっぱりいろんな意味で後悔のほうが大きい。

斎場には、義父の青年時代から、最近までのスナップ写真が数枚、
大きく引き伸ばされて飾られた。
義父の若いときの写真はその時初めて見たし、
てっきり仕事は農業一本だったのかと思えば、
実はいろんな仕事をしていた事も知り、
他にもいろんな義父のエピソードが出てきたりもして、
亡くなって初めて知った事もたくさんあった。
生きてるうちに、もっと義父を知りたかったと思った。

亡くなってからも、義父にはたくさん語りかけた。
わたしが義父に語る言葉は「ごめんなさい」の言葉ばかり。
いろんなごめんなさいがあるけれど、
1番のごめんなさいは、孫を作ってあげられなかった事。


そして約二週間の滞在を終えて、今日、東京に戻ってきた。
こんな時こそ、義母を支えてあげたいが、
結局はまた長男夫婦に任せるしかないことがもどかしい。

なんだか、心がスースーする。
何もする気が起こらない。


「サクラをみせてあげたいですね」
往診に来ていた先生がそう言っていたけど、それは叶わなかった。
今年は、サクラを見るたびに、残念な想いでいっぱいになってしまいそう。
今から、キラキラ輝く季節が来る。
いつもその輝きについていけないから、春は苦手。
今年はもっとこの季節についていけない気がする。
| つれづれ | COM(4) |
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